①検校塙保己一先生に対する念いについて②本庄市の森林及びその木材と森林環境譲与税の譲与開始にあたって③皇位継承に伴う10連休中市民サービスを市民の立場で考えること(2019年第1回定例会・一般質問)

●総検校塙保己一先生に対する、念(おも)い について

 尊敬する総検校塙保己一先生について、主に塙先生と述べさせていただきます。平成18年1月、旧本庄市、旧児玉町が合併し、現本庄市が誕生しました。これに伴い、児玉町民が尊敬してやまない郷土の偉人、塙保己一は、本庄市ゆかりの偉人として現在まで内外にPRされています。今日、塙先生は世界の偉人としても知られておりますが、本市が郷土の偉人としてPRしているのは周知のとおり、武蔵国児玉郡保木野村、現在の本庄市児玉町保木野に生まれ、15歳になって江戸に出るまで過ごしたからです。これらを踏まえた上で、3点伺います。

 1つ目として、塙保己一が本庄市の偉人になるまでの経緯、中でも児玉町民の念いを聞く、知る、あるいは引き継ぐ取り組みや努力があったのかについて伺います。児玉町民には長く郷土の偉人として語り継ぎ、教育を受ける中で、特別な念いが醸成されていました。念いにかかわることにフォーカスしてお答えください。

 次に、児玉総合支所前の総検校塙保己一像について、あの場所に建てた理由と管理は誰が行っているのか伺います。

 最後に、JR本庄早稲田駅北口の総検校塙保己一旅立ちの朝像について、あの場所に建てた理由と、管理は誰が行っているのか伺います。


<答弁>

 まずは、塙保己一が児玉町の偉人から本庄市の偉人になるまでの経緯についてご説明申し上げます。塙保己一は1746年、現在の本庄市児玉町保木野に生まれ、盲目という大きな障害に負けず努力の積み重ねと、周囲の人々の協力により和学講談所の開設や41年もの歳月をかけて群書類従を完成させるという歴史に残る大事業を成し遂げられました。また、盲人社会の改革にも努力し、大きな成果を残し、日本の歴史の中でも偉人としてその名を残しております。

 塙保己一の偉業と精神は、没後、多くの人々や団体により普及活動が行われてきております。明治44年、塙保己一の出身地である当時の保木野村に保己一講が設立されて以来、児玉温故会、旧児玉町の塙保己一先生遺徳顕彰会、新市における塙保己一先生遺徳顕彰会とその活動は脈々と受け継がれております。

 旧児玉町の皆様の塙保己一に対する抱いている念いを引き継ぐ取り組みや努力があったかとの質問でございますが、個人の念いは多様でありますので、顕彰会がそれを代表し、集約しているという認識に基づきましてお答えをさせていただきます。

 現在の顕彰会の母体となる児玉町時代の顕彰会は、昭和61年、町長、議長を初め各団体や個人により総検校塙保己一先生遺徳顕彰会として発足され、塙保己一先生の遺徳及びその事績を顕彰するとともに、先生の精神の普及を目指し、顕彰祭、座像建立などの顕彰事業が行われてきました。平成18年の旧児玉町と旧本庄市の合併時には、新市が引き継いで一体となって塙保己一の顕彰を行うとの協議を前提に、合併前の市長、町長を初めとする11人によって設立委員会が発足し、各種団体や多くの市民の皆様の賛同により、平成19年7月に現在の顕彰会が設立されました。新たな顕彰会においても顕彰会の名称、目的、事業は引き継がれ、墓所の移転や銅像の建立など新たな事業も展開されております。なお、毎年5月には総会を開催し、皆様からの自由な意見もいただいているところでございます。

 このように議員ご指摘の郷土の偉人に対する念いは、市といたしましては顕彰会がそれを代表し、集約していると認識しておるところでございます。また、本市においても総合振興計画の将来像や教育大綱の基本理念に塙保己一の言葉である「世のため、後のため」を掲げ、保己一の精神を取り入れております。

 次に、児玉総合支所前の塙保己一像についてご説明いたします。この銅像は、児玉町時代の顕彰会が主体となって総検校塙保己一座像建設委員会が設立され、町内外の皆様からの浄財により平成2年、現在の児玉総合支所にあった旧児玉町役場の玄関脇に建立されたものでございます。児玉総合支所の改築に当たり、設置場所を検討した結果、総合支所に塙保己一記念館が併設されることから、記念館の南であり、多くの人の目に触れるよう道路に面した現在の場所に移設されたものでございます。なお、総検校塙保己一座像は、旧児玉町に寄贈されており、現在は児玉総合支所総務課で管理しております。

 次に、JR本庄早稲田駅北口の旅立ちの朝像についてご説明いたします。この銅像が建立されるまでの経緯でございますが、平成19年に発足した現在の顕彰会の中で、早期から塙保己一の顕彰の新たなシンボルとなる特別事業について協議が行われ、没後195周年及び合併10周年となる平成27年度に銅像を建立することといたしました。設置場所は、新たなまちが形成されつつあったJR本庄早稲田駅前とし、また銅像は15歳で江戸へ旅立つ立ち姿とすることとして、平成23年度の総会で決定されたものでございます。新たな銅像は、平成28年3月に建立され、お顔を江戸に向けて設置されております。なお、銅像は建立した顕彰会が管理しております。

 いずれにいたしましても、市といたしましては今後とも顕彰会と連携を図りながら、郷土の偉人である塙保己一の顕彰と精神の普及を進め、これまでの事業を引き継ぐとともに、市内外に、また海外に広く啓発活動に取り組んでまいりたいと考えておりますので、ご理解、ご協力を賜りたいと存じます。


◆再質問◆

 今回、私が念いという字を用いたこの「念」という字には、強い意志、信念、願望という意味があります。郷土の偉人として、地元の歴史上の人物を尊敬するこの念いは、そこに住み、暮らす人にはとても大切で、特別なものです。例えば、甲斐の武田信玄ですけれども、こちらを山梨県民は武田信玄公など呼び捨てにしないという風習が一部の人々にあります。また、高野山では空海が生き続けていると考えて、今でも毎日2回、食事を運んでいます。念いがない人がどう捉えても、特別な念いがある人にとっては大切なことであり、呼び方や行動等にあらわれるものです。

 立ち戻って考えますと、塙先生に対する念いというのは何か。私が一言では言えないこの念いをあえて端的に表現しようとすると、大きな尊敬の心だと私は認識しています。では、何が塙先生に対する念いを市が酌み取っていないのではないかと感じさせるのか、その問題点を指摘して再質問いたします。

 児玉総合支所の前にある塙先生の像について、「塙先生が雨風にうたれてかわいそう」「雨が筋となって涙を流しているように見える」、こういった声を耳にします。これは掃除が行き届いていないせいだと思います。あるいは、「夜は真っ暗になってしまっている」「照らしてあげたい」等、念いのある人の声は多数聞きます。

 いやいや、あれは像だと、そう思う方もいるかもしれません、確かにあれは像なのです。しかし、念いがある人にとっては、まさに塙先生そのものなのです。「命につく名前を、心と呼ぶ」、これは中島みゆきの歌の詞なのですけれども、念いというものがあれば像に心や命が宿るのです。単なるモニュメントではないのです。

 こういう声を聞き、念いを知らなければならないと思います。今、市に塙先生の話をすると、先ほども答弁がありましたけれども、顕彰会がと二言目にはおっしゃいます。では、市は何をしているのでしょうか。何もしないのでしょうか。私、常々思うのですけれども、塙先生というのは顕彰会の偉人なのでしょうか。違いますよね。本庄市の私たちの偉人ということだと思います。幅広い市民の念いをしっかりと聞くこと、その努力をすること、そして数万の市民の念いを受けとめて、加入者何百人の顕彰会任せではなく、ともに形にしていくこと、これが市の使命なのではないかと私は思っています。

 昨日の一般質問の中で「旧児玉町出身の議員として」という発言がありましたが、市長はこれに対して「今は本庄市の偉人です」と、こういうような答弁をしましたが、まさに連綿と続く塙先生に対する児玉の念いをどう扱ってきたのか見たような気がしています。これらを踏まえた上で、1点目の再質問をします。

 市では、マリーゴールドや赤れんがをライトアップしていますが、同様に本庄市の偉人、塙先生の像も早急にライトアップするべきだと思いますが、いかがでしょうか。屋根の設置や掃除の徹底も含めて、総合支所の前にある塙先生の像についてお答えください。

 2点目、JR本庄早稲田駅北口にある旅立ちの朝についても、総検校としての座像ではない像容について、念いがある人は違和を感じています。偉人の銅像は誇らしい立派な姿、偉業を成し遂げた後の姿でつくるというのが基本です。本市から江戸へ行ってしまう塙先生の像、数え15歳の姿は、果たしてそれに当たるでしょうか。昨年の第3回定例会で「座像という教育を受けており、立像のイメージがない」と述べたことに対し、教育長は「座像が一般的」とした上で、「新しい考え方のもとに立像ということになった」と述べています。

 平成21年第1回定例会の一般質問に対する答弁で、市長は「やはり銅像というのは私はシンボルだというふうに思っております。これは本庄市を挙げて、あるいは内外の塙保己一先生を慕う方々も含めて、みんなしてつくっていくという方向に持っていくことがまず大事」と述べていますけれども、本当に「みんなして」、つくったのでしょうか。

 さて、旅立ちの朝の像は、新しい考え方のもとにつくったために問題が生じています。それは、あれは誰かということを本庄市に訪れた人だけではなく、市内の人も多数疑問を抱いているのです。像の近くに寄ってみて、下の銅板を読まないとよくわからない。それはシンボルになっているのでしょうか。疑問です。中には、二宮金次郎ではないかという人もいます。

 以上を踏まえ、銅像をシンボルとして機能させるためにも、この銅像が誰かわかる看板、加えて2020年に向けて新幹線に乗って観光に来た人が、どこに行けば塙先生について知り、見ることができるのかわかるような観光案内もつけて、旅立ちの朝公園内に設置してほしいと思いますが、いかがでしょうか、伺います。

 3点目、いろいろな呼び方や書き方がありますが、像のタイトルは正式な総検校塙保己一先生と表記するべきだと思います。しかし、現在、さきに紹介した2つの像は、そう表記されていません。なぜでしょうか。特別な事情があるのか、あるいは念いを持たずにそうしたのかについて伺います。


<答弁>

 まずは、現在、総合支所にあります塙保己一座像のほう、それについての屋根の設置、それからライトアップということですけれども、それと確かに今までも外に座像ということで設置をされておりました。そのことによって雨が当たって、幾らかちょうど目のあたりから涙のように見えるというようなお声は聞いたことがありまして、これは銅像作家のほうにも相談いたしまして、そちらの銅像作家のほうに拭いていただいたりとかと、そういうこともしておりました。ただ、基本的に銅像作家の方などもおっしゃっているのが、銅像というのは、やはりある程度風にさらされて、そこに深みが出てくるのだということもございますので、全て屋根をつけるのがいいのかどうなのかということも含めて、これはいろいろお考えがあろうかと思います。

 ただ、一方で、あそこに移設したときに、やはり暗いというようなお話も市のほうに届いておりまして、ただ座像というのは、やはり人間と同じようなお顔でつくられているものですから、下からライトを充てると、逆になって非常に怖いお顔になってしまうということ、これは人間でも同じです、下から当てると。そういうことがありまして、ではあの周辺を幾らか明るくしようということで、あの辺植栽があるのですけれども、そちらのほうにライトをつけたという経緯がございます。

 また、JR本庄早稲田駅前の立像につきましては、これは現在の顕彰会が新たな顕彰事業として、その顕彰会の中で、要するにどういう像をつくるかということにつきましては、皆さんが思っているものをどういう形であらわしていくか、これは顕彰事業全てにおいてそういった形だと思うのです。その念いというのが基本にあって、それをどのようにやっていくかというのが、それぞれの顕彰事業であるのだろうというふうに考えております。

 そして、新市においての顕彰会において、早期からやはり没後195年という節目に何か新たな顕彰をしようと。その中で新市にふさわしいものということで、いろいろと議論して、やっぱり顕彰会の中でいろんなご意見があったというふうに伺っております。でも、その中で新しいまちにふさわしいということで、新幹線の駅前ということと、それから新しいお姿でということで、両方、やはり江戸につながっている旅立つ駅であるということから、15歳の旅立ちの姿というご意見が出されまして、それを顕彰会の中で慎重に検討、そして先ほども申し上げましたが、総会の中でご了解いただいて、銅像のほうを建立したという経緯がございます。

 ですから、全て皆さんにお諮りしてということではなく、当然銅像建立については、その専門の委員会を顕彰会の中に設けまして、いろいろと検討し、それをまた役員会に返して、またその結果等は総会のほうで最終的にお諮りしてという段階を踏んで、あの銅像というのが建立されたというふうに伺っておるところでございます。

 それと、2番の駅前の立像が建っているところの説明板がわからないというのは、昨日の答弁と同じように、今後、検討をしてまいりたいと考えております。


◆再質問◆

 3点目の答弁がありませんでした。どうして、総検校塙保己一先生と書いていないのですかという点です。そしてもう一つ、先ほどの答弁の中で、銅像というのは雨風にさらされて味が出るのだという、まさにそういう面もあると思うのです。だけれども、先ほど私が言ったみたいに、全ての偉人が同じような念いを持たれてるわけではないのです。例えばさっき紹介した武田信玄でいったら、勇猛なイメージですよね。だから別に雨風の中にあっても、さほどそんなに人々は思わないかもしれませんけれども、塙保己一先生が雨風に打たれてかわいそうだというのは、やっぱり塙保己一先生のいろんな歴史とか背景がある中で、みんなそう思っているのではないでしょうか。

 お掃除をちゃんとしてほしいと再質問も私したのですけれども、その辺もしっかりしていただけるのかということの念押しの含め、再質問いたします。


<答弁>

 先ほどすみません、名称のことですね、銅像のほうの。この名称についても、ちょっとすみません、前の顕彰会のほうはちょっと確認はしてこなかったですけれども、今度立像については、その名称についての全て、顕彰会の建立するときの委員会、それで最終的には役員会に諮って、こういう名称にしますということで総会のほうにもご報告したということで、そういう経緯をしているところでございます。

 それと現在、座像の関係ですけれども、あれは本答弁の中でも申し上げましたが、もともとは旧の児玉町時代の顕彰会の方たちが、浄財を集めてあそこに銅像を建立して、それも玄関脇にあったわけです。ですから、まずはあそこを建てかえたときに、やはり同じ敷地内にまずは置いておこうというようなことで、その中で場所を選定した結果、塙保己一記念館ができるということで、そちらのほうに移したということでございます。

 それと、銅像のほうのJR早稲田駅のタイトルについては、旅立ちの朝ということで銅像のタイトルが正面に飾られているというのは名称として入れられております。


●本庄市の森林及びその木材と、森林環境譲与税の譲与開始に当たって

 来年度より森林環境譲与税が市町村へ譲与される見込みとなっており、森林を有する本庄市としての考えを2点伺います。

 1点目として、森林環境譲与説の譲与開始に当たって、その使途、特に人材育成について本市としてどのように活用する計画かについて伺います。林業分野の人材不足は、放置をすれば山を管理できるノウハウが継承されないことにつながることから、長期的な視点に立って計画的に行うことが肝要なため、譲与開始前から考えなければいけない問題であるという観点から伺います。

 2点目として、本庄市の森林、特に木材を有効的に活用することについて、特に木材を出荷するための拠点の整備と、埼玉県利根川流域の市町村へ水源涵養に対する理解、協力を求めていく計画について伺います。


<答弁>

 森林環境譲与説の概要についてご説明申し上げます。森林環境税及び森林環境譲与説は、パリ協定の採択における我が国の温室効果ガス排出削減目標の達成や昨今の山地災害の激甚化等による国民の森林への期待の高まりを受け、森林関連法の見直しとあわせ創設されるものでございます。

 森林環境税の課税は、平成36年度より行われますが、森林環境譲与説につきましてはそれに先駆け平成31年度より市町村等に譲与される予定でございます。その配分は、森林のうち、私有林人工林面積、林業就業者数、市町村人口で案分譲与され、その使途につきましては森林の整備や人材育成、普及啓発、木材利用促進、その他の森林の整備の促進に資するものとなる予定でございます。

 本市における森林面積は2,457ヘクタールで、市南西部に偏在しているところでございます。森林の保全や林業にかかわる事業者は少なく、埼玉県中央部森林組合がその責を担っているところでございます。この森林組合は、平成30年10月1日に旧こだま森林組合と旧埼玉県中央部森林組合が合併し、誕生したものでございます。合併により林業経営体として盤石な体制となった森林組合が、個人、法人の担い手が少ない林業を支えるのみならず、水源涵養や山地災害防止等、本市の森林管理における中心的担い手であり、この森林組合との連携が核となっていると考えているところでございます。

 議員ご質問の森林環境譲与税を活用し、林業に携わる方、もしくはこれから林業に携わりたい方など人材育成計画でございますが、林業分野の人材不足を放置すれば、山林を管理できるノウハウ等が継承されないことにつながることなど課題として認識をしております。

 先ほどご紹介をさせていただきました埼玉県中央部森林組合が活性化すれば、人材育成にもつながるものと考えておりますので、この組合と連携し、今後、方策を検討してまいりたいと存じます。

 次に、本市の木材を有効に活用するため、森林から木材への一時加工所あるいは出荷するための拠点整備についてでございますが、木材の出荷につきましては埼玉県中央部森林組合が必要な施設や資機材を有し、木材の切り出しから加工、製造までの一連の工程を担っているところでございます。

 こうしたことから現状では、施設や資機材等を有する埼玉県中央部森林組合の協力のもと、既存施設を有効的に活用する方向を検討してまいりたいと存じます。今後、木材加工、施設の整備につきましては、その必要性や整備主体など検証が必要と考えております。

 また、利根川下流域市町村に対し、本市として森林環境譲与説を利用した水源涵養に対する理解、協力を求めることについてでございますが、今後、森林環境譲与に伴い、水源涵養に対する全国的なPRが活性化するものと予想されますので、こういった動向を把握しながら、埼玉県や関係機関と連携し、検討をしてまいりたいと考えております。

 いずれにいたしましても国会において審議中の森林環境譲与説が創設され、譲与された際には、その法の目的が十分に達成できるような森林対策が必要と考えておりますので、国等の動向を注視し、円滑な対応が可能となるよう取り組んでまいりますので、ご理解とご協力を賜りたいと存じます。


●皇位継承に伴う10連休中、市民サービスを市民の立場で考えることについて

 本年は天皇陛下のご譲位と皇太子殿下のご即位に伴い、4月27日から5月6日まで10連休となります。当然市職員も連休となります。一方で、水道、電気、ガスなどは、お休みだからといってとまりません。同じように公的業務を担う市役所の市民生活に直結するサービスは、10日休まれては困ると市民は心配しています。そこで2点伺います。

 まず、10連休中の市役所の開庁、特に市民サービスに影響がある部分の業務の計画について伺います。

 次に、特に心配する声が多い10連休中のごみ収集について、現在どのような計画になっているのか伺います。


<答弁>

 本年4月30日には、今上天皇がご退位され、皇太子殿下が天皇にご即位されます5月1日を休日とする法律、また国民の祝日に関する法律、これらに基づきまして市役所は4月27日土曜日から5月6日の月曜日までが10連休となるわけでございます。

 議員ご質問のこの10日間の長い休日におきます市役所の窓口の主な対応についてご説明させていただきます。まず、市民課では、連休中の4月28日と5月5日、これが日曜日に当たるわけですけれども、この日曜日につきましては通常の日曜開庁と同様、午前8時30分からお昼の12時までですけれども、戸籍証明書あるいは住民票の写し等、市民課窓口を開庁する予定でございます。また、連休ということもございますので、来庁者の方が多くなることも予想されることから、通常の日曜開庁よりも職員を増員して対応していきたいというふうなことも検討しているところでございます。

 また、5月1日に当たりましては、皇太子殿下のご即位によりまして新たな元号の初日になり、さらに大安でもあることから、婚姻届でも届け出数が増加することが予想されております。本庁では市民課、児玉総合支所では市民福祉課におきまして、それぞれ婚姻届を受理いたします臨時の窓口を開設することも現在検討しているところでございます。

 次に、ごみの収集体制についてでございますが、家庭から排出される可燃、不燃、資源、それぞれのごみにつきましては、特に休止とせず、所定の収集場所におきまして通常どおりの回収をする予定でございます。地域ごとに定められております曜日に、決められた方法で排出していただければというふうに存じます。

 これはその他でございますけれども、公立保育所の関係でございますけれども、連休中、公立保育所は基本的に休みになるわけですけれども、10連休と休日が長期にわたるため、一時預かり事業の実施による連休中の対応を検討するように国のほうから通知が発せられているところでございます。また、連休中は通常の休日等よりも多くの一時的な保育ニーズが生じる可能性もございますので、必要な保育ニーズの充足対応を図るよう、要請されているところでございます。

 市では、この国の通知を踏まえまして、一時預かりを希望される方にはいずみ保育所及び久美塚保育所におきまして、連休中の一時預かり事業の実施に向けまして現在準備を進めているところでございます。これらの連休中の対応に関します情報につきましては、「広報ほんじょう」4月1日号に掲載する予定でございまして、市民の皆様に周知を図ってまいりたいというふうに考えてございます。いずれにいたしましても、全庁的に適切に対応すべく手続を進めてまいりたいと存じますので、ご理解とご協力を賜りますようお願い申し上げます。

うちだ えいすけ 【本庄市議会議員 内田 英亮】/Official Website

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